2014年6月29日日曜日

市川崑「おとうと」

3月に母の弟(僕にとっては叔父)が亡くなった。母とは8つ歳がはなれていた。
母は7人きょうだいの5番めだが、まさか弟が先に逝くとは夢にも思わなかったろう。
幸田文の原作を読んだときは泣けた。
不思議なことに、映画だと金持ちではないけれど学校に通わせてもらって貧しいながらも人並みの生活をしているきょうだいの「おとうと」がぐれたあげく、結核になって死ぬというそれだけの話になっている。
すごくいい人が病に倒れるからドラマになるんじゃないかって思う人は多いだろう。
おまえのような放蕩息子なんかかわいそうでも何でもない。
客観的にはそうだろう。
げんだけが碧郎のほんとうの心を知っている。だから幸田文は『おとうと』と題した。
映画にももっと姉目線であってよかったんじゃないか。

2014年6月23日月曜日

黒澤明「どですかでん」

山本周五郎の『季節のない街』が原作。
この小説には『青べか物語』の浦安のように特定できる地域が見当たらない。
黒澤明はこの映画を南葛西あたりのロケ地と東宝のスタジオで撮ったという。公開が1970年、世界の国からこんにちはの年だから、すでに貧民窟も少なくなっていただろうし、登場人物の個性というか人間味を演出するには美術セットが必要だったにちがいない。
たんばさんの渡辺篤は五所平之助「マダムと女房」では劇作家役。コミカルなお父さんを演じていたが、この映画ではいちばん真っ当な生活をしている賢人役だ。唯一ほっとできる登場人物といえるかもしれない。
名もなく貧しく美しく生きるのも人間なら、無意味に愚かに生きていくのも同じ人間だ。山本周五郎の視点をみごとなまでに映像化した作品だった。

2014年6月19日木曜日

ジャン=リュック・ゴダール「勝手にしやがれ」

この映画を最初に観たのは30年近く前。場所は有楽町のスバル座で「気狂いピエロ」と2本立てだった(と思う)。
それでも本来なら、10代とかもっと若い頃に観ておくべきだった。
とにかく中学、高校、大学とほとんど映画は観なかった。
テレビコマーシャルの仕事をするようになって、もっと映画を観ろと社長になんどとなく言われ、しまいには小遣いまでもらって、ようやく観るようになった。
それも古い映画ばかりだった。
今でもそうだが、ロードショーの話題作はあまり観ない。映画に関しては相変わらずの周回遅れのランナーなのだ。

2014年6月9日月曜日

松山善三「名もなく貧しく美しく」


しまったことをしてしまった。
僕が古い映画を好んで観るのは、昔の町並みを見たいがためだ。
少年時代に日常として見てきた東京を眺めたいのだ。
映画や小説と町歩きをテーマにした本もよく読む。この映画についても実は予備知識があった。
秋子と道夫は渋谷の東急線が山手線を跨ぐあたりで話し込む。上野動物園のあと道夫がもらった卵を割ってしまうのは鶴見線の鶴見小野駅だ。三宿あたりの家を飛び出した秋子と追いかける道夫が駆け込む駅は大塚だ。
こんな具合にその場所場所に目が行ってしまうとそれはおかしいだろとツッこんでみたくなってしまう。せっかくの名作を前に、俺はいったい何をしてるんだろう。
結末に関して賛否はあるかもしれないが、やはりこの映画は名作だった。松山善三の、魂のシナリオだった。

2014年6月6日金曜日

成瀬巳喜男「乱れる」

2年ほど前、清水を訪れた。
朝から仕事だったので、前の晩は駅前のビジネスホテルに泊まった。夕飯のあと、町を歩いてみた。この町が成瀬巳喜男の名作「乱れる」の舞台だと知っていれば、巴川沿いや鉄舟寺など行くべき場所はいくらでもあったのに。
礼子に呼び出されて、幸司が石段を上っていく。その見晴らしのいい寺に礼子の亡夫、幸司の兄が眠る。
鉄の舟の寺。いかにも港町清水らしい名前だ。
「僕は姉さんが好きだ。なぜそれがいけないんだ」
加山雄三の真っ直ぐな台詞がいい。
温泉の飲み屋の浦辺粂子もいい。
「おら60年、この村からどっこも出たこたねっす。山の木立みたいなもんだ」
ラストシーンは高峰秀子の真骨頂。迫真の演技だ。
もういちど清水の町を歩いてみるのも悪くない。