2018年7月23日月曜日

瀬々敬久「64-ロクヨン-後編」

64の後編を観る。
そうだそうだ、こんな話だったと思い出す。
このあいだ「大いなる旅路」を観た。
佐藤浩市は三國連太郎の息子である。
父は鉄道員で息子は警察署の広報官だ。
息子は大間でまぐろを釣ってもいた。
こんなことはいくら言ってもきりがない、あくまで配役の話だ。
でも息子もいい役者だと思う。

2018年7月17日火曜日

小林達夫「合葬」

彰義隊のことを少しくわしく知ったのは吉村昭の長編小説による。
その後、杉浦日向子の『合葬』を読む。
この映画の原作である。
歴史の中の彰義隊ではなく、彰義隊の中にあったであろうドラマが語られている。
おそらく原作者の創作だろう。
けっして饒舌な物語ではない。
映画も寡黙である。
セリフの多寡ではなく、情景も心理描写も何もかもが寡黙である。
こういう映画はきらいじゃない。

2018年7月13日金曜日

瀬々敬久「64-ロクヨン-前編」

横山秀夫『64(ロクヨン)』を読んだのはたしか2年前。
ちょうど映画が公開された頃だった。
映画が話題になっていたので読んでみたのだろう。
原作を読んだら、映画も観てみようと思った。
あれから2年が過ぎてしまった。

2018年7月12日木曜日

舛田利雄「二百三高地」

日露戦争における旅順陥落に関しては乃木司令官以下日本陸軍の愚直な戦術がしばしば取り沙汰されている。
事実だったどうかも今となってはわからない。
3時間を超える映画で二百三高地を合理的に攻めはじめるまで2時間半近くを要する。
うず高くつまれた屍に乃木希典は思いを馳せる。
小賀中隊長の最期。詳細な描写は必要だったのかとも思うが、そうでもしなければあおい輝彦の気持ちは夏目雅子に伝わらなかったのかも知れない。
夏目雅子ってきれいだな。あらためて思う。

2018年7月11日水曜日

マルク・フィトゥシ「間奏曲はパリで」

ノルマンディで夫と畜産を営むブリジット(イザベル・ユペール)がある日夫に嘘をついて二泊三日でパリへ小旅行に出かける。
三日間は冒険でもあり、放浪でもある。
パリには行ったことがない。
ブリジットのように歩けばいいのかも知れない。恰好のパリ入門映画である。
パリを彷徨うおばさんのホールデン・コールフィールドみたいだ。
夫(ジャン=ピエール・ダルッサン)がこっそり後を追う。
失意のまま息子のアクロバットを観る。ここがいい。

2018年7月9日月曜日

関川秀雄「大いなる旅路」

新藤兼人が脚本を書いた東映映画である。
盛岡の機関士は三國連太郎。
不器用な男の生き様が武骨に描かれている。
大正末年からドラマがはじまる。
物資が乏しくなる。長男は招集される。三男は予科練に志願する。
暗い時代を機関車だけが走り続ける。
こういう映画を今観ることができる幸せを噛みしめたいと思う。