2017年6月20日火曜日

是枝裕和「海街diary」

時の流れにほったらかしにされたような古民家に住む四姉妹の物語。
鎌倉の海沿いの街がよくマッチしている。
人が死ぬことで少しづつ時間が動く。運命だけがよどみのような時間に流れをもたらす。
大竹しのぶが、堤真一が、この安定をかき乱そうとする。
が、やがて泥が沈殿するように静かな流れが取り戻される。
そういえばしばらく鎌倉に行っていない。

2017年6月16日金曜日

斎藤武一「愛と死をみつめて」

「キューポラのある街」に続く吉永小百合の名作。
顔を半分隠しての大ヒット、吉永小百合の存在感が際立つ。
子どもの頃テレビドラマで視た記憶の中のミコは島かおりだった。
不治の難病に冒され若くして死んでいくヒロインを見るのは悲しすぎていやだった。
今、歳をとってから見てみると不思議と浜田光男の立ち位置ではなく、笠智衆に感情移入してしまう。
大阪の病院を見舞って列車で兵庫に帰る父。ミコとマコがホームで手を振る。車窓から手を振り返す父。
やがて娘の姿が見えなくなり、父はひとり嗚咽する。
めずらしくほとばしる感情をおさえきれない笠智衆の演技。
いちばん泣けるシーンだった。

2017年6月5日月曜日

若松節朗「柘榴坂の仇討」

柘榴坂は品川駅前から二本榎の方に上っていく坂だ。
事の起こりは安政7年3月3日、桜田門外の変。
井伊掃部頭の警護をしていたのが志村金吾、駕訴状を持って金吾に第一刀を振るったのが佐橋十兵衛。
彼らは歴史上の人物ではない。創作された登場人物だ。
原作は浅田次郎。
彼らしい大人のおとぎ話だ。

2017年6月4日日曜日

加藤威史「映画立川談志」

落語が好きで若い頃から寄席に通っていた父であったが、滅多に落語家を褒めることはなかった。
唯一うまいといったのが立川談志だった。
僕は何度か落語を聞きに行ったことはあるけれども、目の前で観る落語は臨場感があってどれもすばらしいとしかいいようがなかった。
談志の高座を観ることはなかったが、やはり同じように感動しただろう。もちろん談志のよさに気が付くことはなかったと思うけれど。
「芝浜」はいい噺だった。

2017年6月2日金曜日

浦山桐郎「キューポラのある街」

NHK朝のドラマ「ひよっこ」でトランジスタラジオをつくっている。
集団就職で上京した若い女性たちが流れ作業で電子部品を組み立てている。
昼休みにはコーラスを楽しんでいる。
関川夏央の『昭和が明るかった頃』を読みはじめた。
「キューポラのある街」が観たくなった。
早船ちよの原作を今村昌平と浦山桐郎が脚本化した。浦山の監督デビュー作である。
助監督から監督に昇格する際最初の作品は2本立て興行の一本、SPと当時呼ばれた一時間程度の作品を撮らせるというが、この映画は例外的に100分ある。
関川夏央の本にそのエピソードが描かれている。
高度経済成長がはじまろうとしている。
子どもたちは「所得倍増」を口にする。
とはいうものの、鋳物の街は貧困の中にある。
鋳物工場を解雇されたジュンの父親が再就職してさっさと以前のように働きさえすればこのドラマは生まれなかっただろう。
ジュンは修学旅行にも行けただろうし、志望校へも進学できたはずだ。
労働者ではなく職人だという父親の矜持と弱さがすべての引き金となっている(もちろんの背景となる時代や社会がいちばん大きな鍵をにぎっている)が、そこから生じるさまざまな挫折を乗り越え、新しい未来を創り出していくところにこの映画の普遍的な価値がある。