堀割の歴史は古いという。江戸時代になって現在の水路は整備されたらしいが、堀割はそれ以前からあったという。
川から水を引き、貯め、飲料水、生活用水として町で共有する。水はゆっくり海へと流れていく。翌朝になると堀割には新しい水が貯えられる。飲料水を汲むのはどの家庭でも早朝の仕事だったという。野菜や食器も洗う。汚水は流さない。洗濯した汚水は別に掘った穴に流す。定期的に水を抜いて、水草やゴミを取り除く。棲みついていた鮒や鯉などは市場に出し、あまったものは住民でわけ合う。これは水落としといって、祭礼なども営まれた。共同体のルールは自ずとできあがっていた。
高度経済成長期には柳川も上水道が整備された。堀割は荒れた。住民たちの、水の大切さに対する思いが希薄になってきたのが原因ではないかと。そして1977(昭和52)年、幹線水路以外を埋め立てて下水道を整備する計画が生まれる。汚い、臭い、蚊が大量発生するなど環境は悪化していた。
この計画に意を唱えた市職員がいた。当時市下水路係長広松元である。広松は上水道の役割を終えた堀割も地盤の維持や洪水時の排水路として機能することを主張。地盤が軟弱な干潟をコンクリートやアスファルトでおおい、農業用に地下水を汲み上げれば、確実に地盤沈下が起こる。また堀割は川であると同時に池でもある。洪水時の増水を一時的に貯め込むことができる。
かくして、柳川の堀割は再生したのである。
高畑勲が柳川に出向いたのは、アニメーション映画の舞台としてのロケハンだったという。そこで広松の話を聞き、ドキュメンタリー映画の制作を思い立ったという。
充実した2時間45分だった。
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