最後の早慶戦の舞台となった戸塚球場は西早稲田にあった。
僕らの世代には安部球場という名で親しまれていたと思う。残念ながらそこで野球を観ることはなかった。
日本の野球史をひもとくとそのルーツは学生野球だ。
早慶戦開催の電報を受け、東京に戻る慶應の別当薫が列車の中で喝采の拍手を浴びる。野球のスターといえば職業野球の選手ではなく早稲田、慶應の選手だったことがわかる。
飛田穂洲も日本野球史にその名をとどめる学生野球の指導者だ。柄本明の演技が光る。
この最後の早慶線に傾けた情熱も歴史の中で輝きを放っている。
0 件のコメント:
コメントを投稿