2016年10月30日日曜日

石井裕也「舟を編む」


ついこのあいだ三浦しをんの『舟を編む』を読んだばかりだと思っていた。
もう4年以上経っている。はやいものだ。
原作を読んだ当初、馬締に松田龍平のイメージはなかった。香具矢も宮崎あおいではなかった。
でも観終えてしまえばそんなことはどうでもよくなる。
前衛音楽家和賀英良はその後、国語学者になって辞書の監修者になったのだとどうでもいいことを思ってしまった。

2016年10月26日水曜日

成島出「ふしぎな岬の物語」

一昨年10月千葉の館山を訪れたとき、ポスターでロケが房総半島各地で行われたことを知った。
岬カフェはJR内房線浜金谷駅に近いらしい。
そういった先入観があるせいか、映し出される映像はたしかに房総の海だ。久里浜からフェリーに乗るとわかる。たしかにあるポイントから東京湾の海は房総半島の海に変わるのだ。加山雄三じゃないけれど、俺の海よと叫びたくなるような海に変わるのだ。
主役は吉永小百合だが、語りべのようにたたずんでいるだけだ。事件もなく、エピソードにもかかわらない。脇が映画を動かしていく。剣を抜かないどころか鯉口に手もかけさえしない剣豪のようだ。
こんど浜金谷に行って、さすけ食堂でアジフライを食べたら、岬カフェまで歩いてみよう。

2016年10月25日火曜日

ドミニク・セナ「ホワイトアウト」

ケイト・ベッキンセイルで検索していたら2009年のアメリカ映画が見つかった。しかもアマゾンのプライム会員だと0円で観られるということでついつい観てしまった。
南極大陸で起きた殺人事件。その50年前の旧ソ連貨物機墜落事故が絡む。
あと何日かで闇に閉ざされる南極。
以前観た韓国映画、ソン・ガンホ主演の「南極日誌」を思い出した。

2016年10月21日金曜日

川島雄三「とんかつ大将」

「てんやわんや」で頼りない主人公犬丸順吉を演じていた佐野周二が一転、実業家政治家の子息で貧しい人々をたすけて生きる青年医師に扮する。その設定だけでも破天荒なのにストーリーも急転回をくりかえす。もう目茶苦茶だ。
戦後間もない1947年公開の作品。当然テレビもなかった。豊かさもなかった。もちろん娯楽もなかった時代に世の中に希望と明るさを与える映画があったんだなと思う。
ロケ地は浅草界隈だろうか。下町の空が大きい。
主人公荒木勇作の大好物はとんかつ。折詰されたとんかつのなんとうまそうなことか。

2016年10月19日水曜日

吉田大八「紙の月」

小学生の頃、近くに貨物線が走っていた。架道橋があり、その壁面に軟式野球のボールをぶつけてキャッチする。遊び相手が見つからないときはいつもこんなことをして過ごしていた。
ある日のこと、そのガード下にお金が落ちていた。拾ってみると一万円札だった。
興奮して家に持ち帰り、母に知らせ、交番に持って行った。50年近く昔の子どもにとって一万円札は大金だった。
落とし主は見つからず、一年後警察から連絡があり、その大金は僕のものになった(たぶん貯金したように記憶している)。
もしはなからあのとき横領してたら僕の人生は変わっていたかもしれない。
この映画を観て、そんな昔のできごとを思い出した。

2016年10月12日水曜日

豊田四郎「泣蟲小僧」

林芙美子の初期の作品である「泣蟲小僧」が映画化されていた。
昭和9年に発表され、13年に映画が公開されている。作者が世に広く知られるようになったことがうかがえる。
原作は少し間の抜けた少年が姉妹の間をたらい回しにされる話だが、フィルムを観る限り、しっかりしたいい子役だ。
その啓吉が赤の他人である尺八のおじさんの寄宿先でひと晩過ごした翌日、物干しの上で箱根の山を歌う。すぐそばの高架線を三両編成の電車が走っている。いい風景だ。
貧しさを明るく笑って生きていく林芙美子の世界はこんな昔からちゃんと描かれていたんだなと思う。

2016年10月11日火曜日

千葉泰樹「下町(ダウンタウン)」

以前、国立近代美術館フィルムセンターでの上映を見逃してしまった映画。
林芙美子の短編「下町」は先行きの見えない主人公りよの生きざまを持ち前の明るさで描き上げている秀作だ。映画化されていると知って、フィルム上のりよはどう描かれているのか、ぜひいちど観てみたいと思っていた。
神保町シアターで「吉屋信子と林芙美子 女流作家の時代」が特集されている。「稲妻」「放浪記」「泣蟲小僧」と並んで「下町」もプログラムされていた。
りよを演じるのは山田五十鈴、鶴石は三船敏郎。
思っていた以上にしっかり前を向いて(おそらく荒川土手だろう)歩いていた。

2016年10月8日土曜日

市川崑「私は二歳」

医師で育児評論家の松田道雄が書いた岩波新書『私は二歳』を和田夏十が脚色し、監督は市川崑。
3年後に公開されるドキュメンタリー「東京オリンピック」の片りんをところどころに見い出すことができる作品だ。
この映画は昭和37年公開だから、おそらく二歳の太郎は僕とほぼ同世代だろう。
きっと今頃、老後の生活のことや最近血圧が高めなんだよねとか歳相応の悩みを持っているにちがいない。
歳はとりたくないものだ。

2016年10月7日金曜日

ピーター・チェルソム「セレンディピティ」

以前BSで録画した映画を観た。
何の予備知識もなく、暇にまかせて観た。
どこかで見たことのある女優。見たことがあるといっても青山通りですれ違ったとか銀座の蕎麦屋にたまたま居合わせたとかじゃない(あたりまえだ)。
十年以上前に観た「ヴァン・ヘルシング」に出ていた女優ケイト・ベッキンセイルだ。
まさにセレンディピティ。僕にとって運命の女優かもしれない。