ミッドウェー海戦は1942年、太平洋戦争の火ぶたを切った真珠湾攻撃の7か月後の出来事である。
当初、アメリカが苦戦を強いられるが、当時はまだ零戦をはじめとする日本の戦闘機の性能と操縦技術がアメリカを凌駕していたのかも知れない。
ただ物資の豊富さと情報に対する敏感さは当然、アメリカの方がすぐれている。
それにしても日本海軍が善戦したことは、映画の演出ではあろうが評価したい。
2019年8月30日金曜日
2019年8月26日月曜日
2019年8月25日日曜日
黒澤明「天国と地獄」
ずいぶん昔のことだが、ある靴メーカーの広告をつくっていた。
その会社の工場は横浜の日吉にあり、いちど見学させてもらった。
ほとんど機械化されていたけれど古くからいる職人もいて、クラフトマンの世界なのだと思った。
主人公権藤は靴職人から常務取締役まで登りつめた男で、靴づくりに真摯に向き合って生きてきたと工場の古参(東野英治郎)が証言する。
この工場は日吉にあった工場に違いない。
横浜、鎌倉、小田原とロケ撮影されている。主たる舞台は横浜黄金町であるが、スタジオにセットを組んだシーンも多いという。
遠景で見る横浜はまだ空が高かった。
その会社の工場は横浜の日吉にあり、いちど見学させてもらった。
ほとんど機械化されていたけれど古くからいる職人もいて、クラフトマンの世界なのだと思った。
主人公権藤は靴職人から常務取締役まで登りつめた男で、靴づくりに真摯に向き合って生きてきたと工場の古参(東野英治郎)が証言する。
この工場は日吉にあった工場に違いない。
横浜、鎌倉、小田原とロケ撮影されている。主たる舞台は横浜黄金町であるが、スタジオにセットを組んだシーンも多いという。
遠景で見る横浜はまだ空が高かった。
2019年8月17日土曜日
関川秀雄「ひろしま」
広島原子爆弾投下の8年後、1953(昭和28)年にこの映画は制作され、公開されていた。
昨日、NHKのEテレで放映されてはじめて知る。
自分のなかの恥ずかしい自分が恥ずかしい。
長田新の『原爆の子』をもとに脚本が書かれたという。
世界にヒロシマを伝えることもたいせつだが、日本人に、身近な人々にヒロシマを語り継いでいくことがなにより欠かせないという高校生の発言に目を見張る。
そして加藤嘉が泣かせる。
昨日、NHKのEテレで放映されてはじめて知る。
自分のなかの恥ずかしい自分が恥ずかしい。
長田新の『原爆の子』をもとに脚本が書かれたという。
世界にヒロシマを伝えることもたいせつだが、日本人に、身近な人々にヒロシマを語り継いでいくことがなにより欠かせないという高校生の発言に目を見張る。
そして加藤嘉が泣かせる。
2019年8月2日金曜日
塚本晋也「野火」
夏になると戦争にまつわる映画を観たり、小説を読むことを心がけている。
それが日本人としての務めのような気がして。
映像技術が進歩しているせいで、火器を使った戦争映画がリアルになっている。
近代的な火器と映像技術を発達させたのは世界的な反戦運動家だったに違いないと思わせるほど残忍で悲惨な描写が可能になっている。
先日観た「プライベート・ライアン」なんてもういちど観よう気が起こらない。
ずいぶん昔に原作を読もうとして途中で断念した苦い記憶がある。
いずれにしても読み直してみたいと思っている。
それが日本人としての務めのような気がして。
映像技術が進歩しているせいで、火器を使った戦争映画がリアルになっている。
近代的な火器と映像技術を発達させたのは世界的な反戦運動家だったに違いないと思わせるほど残忍で悲惨な描写が可能になっている。
先日観た「プライベート・ライアン」なんてもういちど観よう気が起こらない。
ずいぶん昔に原作を読もうとして途中で断念した苦い記憶がある。
いずれにしても読み直してみたいと思っている。
2019年8月1日木曜日
深作欣二「火宅の人」
一般にはこの映画のタイトルどおり火宅の人だったと思われている(たぶん)。
檀一雄は長く石神井公園の近くに住んでいた。
それはCMプロデューサーだったご子息檀太郎氏の知人から聞いた。
大泉学園にある東映撮影所でCM撮影が行われたとき、その妹である檀ふみは自宅から自転車でやってきたという。
そんな話も昔知り合いのCMプロデューサーから聞いた。
石神井公園でロケ撮影も行われており、リアリティを感じるシーンになっていた。
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